Kimmys Feeling

徒然なるままにkimmyの日々を綴ります。

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市民球場最後の年

カープが3位に浮上しました!

広島市民球場最後の年に、選手達があんなに頑張ってくれて、嬉しいです。

寂しい最後になるんじゃないかと、心配していたので。

チケットは、もうほとんど残っていないようです。

選手達にはもうひと頑張りしてもらって、広島市民球場でCSを見たいものです。



広島市民球場の外野席では、ホームランを呼び込むために
「持ってこ~い(鯉)!!」という掛け声で応援がされてるんです。

これを内野席でやっちゃうオジサンたちがいるそうで……旦那の仕事仲間なんですけど……。

内野席に「持ってこ~い(鯉)!!」じゃ、ファールボールになっちゃう!

迷惑なので、やめてよね~!




ここからは、またちょっとヒロシマの話をしたいと思います。

広島市民球場が完成した昭和32年頃は、周囲には高い建物が全くなく、
広島駅から球場が見えたそうです。

原爆で、一瞬にしてほとんどの建物がなくなってしまった爆心地近辺の、
原爆投下前の様子を、CGで再現する活動をしておられる方達がいらっしゃいます。
(詳しい記事はこちらで)

当時の様子を覚えている人達に話を聞きながら、当時の街並みを再現することで、
原爆が投下されたのは、普通の生活を行っていた普通の人々の頭上だということを
訴えておられます。

記事でお話されている田辺さんのお母さんと弟さんのご遺骨は、見つかっていないそうです。

今は原爆ドームとなった産業奨励館の、すぐ隣に家があったので、
原爆ドームを取り囲むフェンスの中にあるのだろう、とのことです。

私は最初、恥ずかしながら、この活動の意図を、きちんと理解することが出来ませんでした。

当時の様子を懐かしむような、そんな風に受け止めていました。

でも、田辺さんが広島のローカルのニュース番組に出演されて、
仰った言葉にハッとしたんです。

「外国の記者に言われたことがあるんです。
 原爆が投下されたのが広い公園の上でよかった、被害も少しは減ったでしょう、と。」

今原爆ドームの周辺は、平和公園として、広く祈りの場所が設けられています。

当然、原爆投下前はそうではなかったのに。

この外国人記者の言葉で、田辺さんはこの活動への思いを一層強くしたそうです。

私も、この外国人記者とたいして変わらない認識だったと思います。

恥ずかしくて、情けないです。

このブログで紹介するくらいしかできませんが、ちょっとでも活動の応援になりますように。

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